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正直、わけ判んない! 消化不良~
さて、今日は1Q84の本編。
この最新の村上春樹さんですが、いままでの村上春樹さんとちょっと変化がみられます。
まず、一番最初に気がつくのが、これまでのほとんどの作品は一人称(「ぼく」)で語られていますが、1Q84にでは三人称で二人の主要人物(青豆・天吾)の章が交互に書かれています。
次に村上春樹さんといえば、ちょっとくどいくらいの比喩的表現を書かれていた印象があるのですが、今作はその部分がかなりすっきりした感があります。
それを【すっきり】と取るか【文学的でなくなった】と取るかは分かれるところかも知れませんが、私としては読みやすくなった気がします。
そして、これまでも結構あったことですが、性的描写がかなり頻繁にそして激しくなったような気がします。
今作においては、宗教も取り上げているので、そのあたりも関係するのかな?とは思いますが、文学的精神性と性描写の関係は前作までのくらいにして欲しかった。
で、内容です。
本書は「なるべく先入観なしに読んで欲しい」というウソかホントか判らない理由から、新潮社内でも限られた人しか先行情報がなかったとうい書籍ですが、これだけの部数が既に発行されていますし、やっぱり書いてしまいます。
<大前提の設定>
本書は青豆と天吾というアラ30の小学校時代の同級生二人の章が交互に展開されます。
青豆は証人会(これはエホバの証人?)の信者の家に生まれ、生まれながらに入信されられた女の子。
天吾はNHKの集金人の父親に育てられ、休みの日は友だちと遊ぶことができず父親と集金に出かける父子家庭の男の子。
二人は青豆の転校で5年生の時に別れるが、ふたりともその生活がイヤで早くに独立します。
天吾は青豆に一度だけ手を握られ、そのインパクトが30歳になっても強く印象に残っている。
さて、大人になった二人。
最初の章で青豆がちょっと不思議な運転手のちょっと不思議なタクシーに乗り(いるかホテルの博物館が浮かんでしまいました・・・)、大渋滞の首都高速の非常階段を降りるシーンから始まります。
どうやらこの時、1984年は1Q84年に転換されたようです。
そして必殺仕事人的手法で青豆は、ドメスティックバイオレンスを行う男を殺害します。
青豆はスポーツインストラクターをしながら、ある老婦人と出会い必殺仕事人になっています・・・・・。
天吾は予備校で数学を教えながら、小説家を目指す。
そんなとき、ある文学賞に応募していた作品の中から「ふかえり」と名乗る少女の「空気さなぎ」という作品に出会い、その内容とは裏腹な稚拙な文章力を補佐するため「空気さなぎ」のリライトを行います。
ところが「空気さなぎ」には隠された真実が・・・・。
ん・・・・・、ミステリィーみたいです。
ま、ストーリーはこんな感じ?なのですがこの本は何を言いたかったのでしょうか?
エホバの証人・オウム真理教・ヤマギシ会を彷彿とさせる宗教・団体が出てきます。
村上春樹さんはオウム真理教の取材をかなりされていましたよね?
青豆が冒頭、タクシーの運転手から「ものごとの見かけにとらわれないように、一面からだけで判断しないように」というような暗示的な言葉をかけられます。
そして宗教団体「さきがけ」の主宰を殺害するシーンでの教祖の言葉。
かなりの説得力と破壊力がありました。
カルト団体が出てくるのであれば、それを糾弾するのかな?と思っていたのですが、それとも少し違う?
猫の街はまだ良しとして
リトルピープルの意味するものは?
そして、青豆は最後に自殺しちゃったの?
だって「ふかえり」は巡りあうって言ってたのに?
相変わらずの、村上ワールドでした・・・・。
さて、あっちこっちで話題になっているようですが、やはり皆さんすっきりされていないようで、続編があるのでは?という話を良く目にします。
どうなんでしょうか?
私も期待はしています。
羊三部作のように、三作目の「羊をめぐる冒険」で羊男ってなんなんだろ?って言うのが私なりに理解できたようにリトルピープルが私にも判るようになると良いと思います。
暫くしたら読み返してみます。
すこし判るようになるかな?
でも、「ノルウェイの森」のラストシーンも確か、僕って誰? ここはどこ?って感じの終り方だったと思います。
あれも私としては消化不良でした。
子ども時代のトラウマをt前提にするのは確かに小説にしやすいと思います。
ただ、最近このテーマのいわゆる【文学】が氾濫しすぎているような気がします。
ちょっと安易に感じてしまいます。
それにしても今回も出てきました。
「ぼくはどこにも繋がっていない」・・・・・・・・・・・・
やはり村上春樹だ~!
やはり喪失村上だ~。
でも今作は喪失から再生へのつもりなのかな?
そこのところも良く分かりませんでした。。。
下巻ですが、天吾クン。
もっと頑張ってよ~。
あなた動かなすぎっ!
★★★★★(評価つけにくい・・・)
新潮社 H21