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吉川「三国志」、読み終わりました。
歴史小説大好きな私ですが、外国物を敬遠していた私としては、目からウロコでした♪
無茶苦茶面白かったです。
その敬遠していた理由は、地名はあまり予備知識がない。
カタカナの人名も覚えられないということでした。
「大陸物なら同じ漢字じゃない?」というご指摘は、いろんな方から頂いていたのですが、
「だって、”趙さん”とか、”張さん”とか、”超さん”とか、”金さん”ばっかりじゃない?」
ってことで、読んでいませんでしたw
確かに「三国志」も【趙さん・超さん・張さん現象は】存在していました。
最初のうちは、この現象に警戒をして、傍線を引きメモを取るなど、厳戒態勢で臨んでいましたw
でも、脳内HD1MB・初期スペックの私の脳もなんとか、処理が出来るようにる頃には、完璧に嵌りました♪
私の読んだ、吉川英治先生の「三国志」は「三国志演義」に分類されるものらしく、
【講談で語られてきた物語と西晋の陳寿によって書かれた歴史書『三国志』(のちに清によって公認された正史である二十四史のひとつ)などの歴史書の伝える逸話を綜合してつくられた小説作品で、歴史書の『三国志』とは異なる作品】(Wikipediaより)
と、いうことでもともと、7実3虚の小説に吉川先生の解釈が加わった小説です。
吉川「三国志」では、劉備と孔明の記述がメインとなっており、孔明の死をもっても物語は完結します。
孔明の死後、晋の時代を迎えるまでの記述は、最後の数頁にとどめています。
このあたりを読みますと、龍馬の死に触れずに完結する、司馬遼太郎先生の「龍馬がゆく」が思い出されました。
「龍馬がゆく」で司馬遼太郎先生は、確か巻末で「この小説を通じて、幕末に生きた龍馬の青春を描きたいと思ったために、龍馬の最後は書かなかった」というような事を書かれていた記憶があります。
吉川「三国志」では、劉備・関羽・孔明の「義」と「忠」が強調して書かれています。
吉川「三国志」のテーマはここにあったのかと思われます。
よって、この作品はこれで良かったのだと。
今回の「三国志」を読んで思ったこと。
「もう少し、読み進めてみたい」でした~。
別の観点からの「三国志」を探してみま~す♪